このブロブの副題は『平凡移住ありのまま』。
少し前に、平凡移住とは違いそうな『教育移住』という言葉を知りました。
この記事では、当時、何も意識しないで名付けた『平凡移住』のことを、『教育移住』の言葉をちょっと借りて、書いてみようと思います。
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そもそもの前提として
そもそもの前提として、教育移住された方にお会いしたこともなく、実際のところを全く何も知りません。
この記事では、何かのニュースで読んで受けたイメージだけで、教育移住という言葉を使ってます。
きっと、一言で教育移住と言ってもいろいろあるんじゃないかなと思うものの、
あまり詳しく知る気がないというか、今の私は知らない方がいい気がして、あえて調べていないといいますか。
そんなわけで、「平凡」の方に重きを置いて、書いた記事になってます。
『平凡移住』って
ブログの副題にもした『平凡移住』ですが、言葉の通り、明確な目的があるわけではなく、結果として平凡に移住しているだけになっている私。
そのうち何らかの目的を持ちたいと思うけれど、今のところはそうでもないしと思って、平凡と名付けました。
私自身は、当初はしたいことがあって渡米したはずだけれど、うまくいかなくて。
こちらで知り合った日本人と結婚し、彼の仕事がここにあるので、そのまま住んでいる形です。
とはいえ、ここは、かつて旅行で訪れた時に、なぜだかふと、
と思った土地でもあるので。
今のところ、ここでの生活は、自分に合っているような気がしています。
今すぐ日本に帰るというのも想像できないし、子どもはここで生まれ育っているので、将来はどうするのかなと思うときもありつつ。
(年を重ねると、特に、食事や医療、言語の面で日本に帰りたくなると聞いたので。)
将来はどうしてもこうしたい、という思いはないけど、今は、ここにいるのが、自分にとって自然な感じがする。
今のところ、そんな『平凡移住』生活をしています。
『教育移住』と多分違うところ
そんなふうに、海外でなんとなく新しい生活が始まり、いつの間にか、今いる場所が自分の居場所、のようになっている立場からみると。
完全に想像ですが、『教育移住』は、学校や地区の状況などがそれなりに整った環境に行くケースが多そう、というイメージが思い浮かびます。
一方で、うちは、住まいも平凡な場所なので。
子どもには、ごく平凡な環境で、多分ごく普通であろう教育を受けてもらうことになると思います。
きっと、教育移住の方々とは、いろんなことが違うんじゃないかな、とは思うけれど。
上をみてもキリがないし、下を見ても、きっとそう。
今いるところで、何ができるだろうと考えてやって、自分なりにやれることを精一杯やっていきましょう。
と、思ってます。
日本vsアメリカの教育 in 普通の公立学校
ところで、NY市内の公立小学校は、Zoned School といって、「この場所に住んでいる人は、ここの学校を希望したら、絶対に入れます」という学校があるみたいなのですが、それ以外の学校を希望することもできます。
なので、ただ地元の公立の小学校へ行く、と言っても、意外に選択肢が多くあると感じました。
少なくとも、我が家周辺の事情を書くと、簡単に歩いていける範囲の中だけでも、本当にいくつも学校があって。
なので、こんな私でも、さすがに何校か説明会へ出かけたほどでした。といっても、うちが見に行ったのは、どこも、ごく普通の公立学校ばかりですが。
*NYの公立学校には、talented&gifted というプログラムがあるっぽいというのは何となく知ってはいましたが、うちの子にはまず、幼稚園で英語を覚えてもらって、というところからスタートするつもりだったこともあって、talented&gifted のプログラムは調べもしませんでした。
ともかく、普通の公立学校に通う、ということで。
世の中や社会を見るにあたって、いわゆる普通のところはどうなのか、という視点から、アメリカの公立学校の様子をちょっと垣間見させてもらえるかもしれない、とも思っています。
日本の今の教育事情は分からないけど、少なくとも自分が受けてきた教育と比べることはできるかな。
学生時代のアルバイトで、教えることを少しだけしてきた経験や、自分が受けてきた教育、仕事や論文の世界、若い時の東南アジアへの旅行、社会生活、人間関係などを通して、自分なりに教育について時々考えることもあったので、ちょっとだけ興味があるといいますか。
そんなことから、自分が見聞きした現実や考えたことを、記録してみるのも、今の私に出来ることだったりするかな、と思ったりしています。
社会の縮図?
ところで、日本でお受験の話題になると、公立の小学校や中学校は、社会の縮図だから、そこに通うことにも意義がある、という意見が少なからず出てきますよね。
私自身は田舎で育ち、地元の公立学校に通いました。
振り返ってみると、確かにある意味社会の縮図だったのかもしれない、と思うし、いろんな人がいる環境で育ったことは私にとっていい経験だったと思うので、意義はあると思う派ではあります。
(一方で、特に中学などは環境に流されやすい年頃でもありますし、道を外す危うさもたくさんある、と身をもって体験したとも思うので、親の立場に立ってみると難しさも感じます。)
NYに住んでいるからといって、アメリカのことがよく分かるわけではないのは前提としても、
NY市には、それなりにいろいろな人種、バックグラウンドの人がいると感じるので。
ざっくりと、豊か、普通、荒れている、の3つの地域に分けるとしたら、普通の下の方?と思うこのあたりで(知らんけど、ですが)、近所の公立小学校に通わせることになる親としては、
社会の縮図とまでは言わなくとも、多少いろいろな現実を感じていくことになるのかも、と思っています。
これまでは家にいるだけだった私としては、子どもの学校が、社会との大きな接点の一つになるでしょうし。
例えば実際に、今だと、学校からきた、不安を感じる移民の人対象のセミナー案内などが、現実を感じる一つです。
親の平均年収によって学校が受け取れる予算の話を聞いたことがありますし、両親がともに男性や女性のクラスメートがいたこともありますし、スペイン語を始め、フランス語、中国語、アラビア語、などを話すお友達もいたり、本当に様々。
それだけでも、子どもは、幼い頃の私より、多様性を身近に感じ、たくさんの現実を経験していくのだろうと思います。
学校や習い事を通して、いろんな人と接していくことでしょう。
そんないろんな経験が、『平凡移住』した親の元に生まれた子どもにとって、何かしら意義のあるものになってもらえたらありがたいとも思っています。
いいとこ取りはできるのか
そういえば、アメリカに住む前は、なんとなくざっくりいうと、
「アメリカは、できる人が伸びる教育をする」
という感じなのかなと思っていました。
(それはエリート校に限る話なのか、よほど出来る人に限る話なのかもしれませんが)
一方で、アメリカに住み始めてから思うのは、
「日本は、平均を上げる教育なのかな」
ということです。
思いがけず、子どもを通して、実際のところを垣間見る機会が得られたので。
教育に唯一の正解はないでしょうし、人によっても時代によっても違ったりするだろうけれど。日本とアメリカ、どちらがいいとかではなくて、どちらのいいところも見てみたいなと思ったりしています。
それで、どちらのいいと思うところも、うまく取り入れながら子育てしていけたらいいなと思っているのですが、果たしてどこまで出来るかな。
まとめーどこにいようとも
子どもには、どこで育とうとも、自分の頭で物事を考えられる人になってほしいな、自分も周りの人も大切に出来る人になってほしいな、小さな幸せを大切にし、何でもない毎日を心豊かに過ごせることにありがたさを感じ、幸せだなと思う人生を生きてほしいな、と思っています。
AIの時代を生きていくであろう子どもを育てるにあたって、私の頭も柔らかくしないといけないのだろうな、って思ったり。
教育のことも、どんなことも、自分なりに出来ることをやっていきたいと思っています。