アメリカで、前置胎盤と診断されました。
振り返りの記事を書いています。
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はじめに
子どもがお腹にいる時、前置胎盤と診断されました。
出産までに治ることも多いみたいなんだけど、私は最後まで治らなくて。
ただの体験記なのですが、出産前後のことを記録として書いておきました。
そもそも前置胎盤とは
公益社団法人 日本産科婦人科学会 の、前置胎盤とは?によると、前置胎盤というのは、
胎盤が子宮の出口(内子宮口)の一部/全部を覆っている状態
のことだそうです。
前置胎盤を英語で言うと
前置胎盤を英語で言うと、placenta previa。
子どもを病院へ連れて行くと、「これに記入してください」と渡される紙に、出産時のことを書く欄があったりします。
これまでにも何度かあり、そんなときにはいつも、「英語でなんて言うんだっけ?」ってその都度調べて、placenta previaという言葉を記入してきました。
よく耳にする「プラセンタ」という単語は、胎盤のことなんだ、と私は前置胎盤になって初めて知りました。
アメリカのお医者さんに言われた過ごし方
私はアメリカで妊娠し、アメリカで前置胎盤と診断されたのですが、前置胎盤という聞きなれない言葉に戸惑う私に、かかりつけの産婦人科医は
「普通の生活をしていたらいいよ」
と。
話はそれますが、私は妊娠途中に、かかりつけの先生がお産を扱わないことになって、違う病院に転院しました。
転院先の病院で、出産が近付くと、出産に立ち会う先生がどの先生になるか分からないからということで、検診のたびに違う先生に見てもらって。
なので、合計何人もの先生に診ていただいたのですが、かかりつけの先生も、転院先の先生方も、口を揃えて言うのが、
「普通に生活してたらいいよ」
どんなに前置胎盤が治る気配がなくても、ずっとそうでした。大したことがないかのような感じで。
結局最後まで前置胎盤のままでしたが、前置胎盤に関する特別なアドバイスなどは何もありませんでした。
あったとしたら「出血したらすぐ病院へ行くようにね」くらいでしょうか。あと、激しい運動はしないように、とか、重すぎるものを持たないように、とか。でもそれは、前置胎盤でなくても一緒な気がするのですが。
ただ、このまま前置胎盤が治らなかったら早めに帝王切開にすることになるとは言われていました。
*転院の際、前置胎盤だからハイリスクの妊婦さんを扱っている病院に紹介するね、と言われたので、ハイリスクではあったみたいです。
日本語の本や記事を参考に
そもそも、前置胎盤って言われたもののよく分からなかったので、日本語の本で調べたり、ネットで検索してみました。
そうすると、前置胎盤では
- 安静にするとか
- 入院するとか
当時そんな記事しか見つけられなかったんです。
(今となっては、心配のあまり不安な記事しか見つけられなかった可能性もあると思ってますが)
こちらの先生から言われていることとちょっと違うような、どうしたものか、って思ったのですが。
私は、自己判断で、一応安心のために、なるべく安静に過ごせるように心がけました。
アメリカの先生を信用していない訳ではないけれども、前置胎盤で大量出血する話をドラマで見て少し怖かったし。(『New Amsterdam/ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ』というドラマです。)
私は結構、お腹が張りやすかったというのもあります。
だけど、心がけたのは「なるべく安静」であって。
先生があまりに大丈夫というから、前から予定してあった知人の結婚式には、アメリカ国内ではありますが飛行機で行きました。
ついでに、何泊かして観光して。
それ以外は、家で安静に過ごすことが多かったです。
というわけで、日本語の情報とアメリカの先生のお話を参考に、私は自分の身体と相談して、比較的安静に過ごすようにしました。
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全前置胎盤で出産 in アメリカ
その後結局、幸いなことに出血はありませんでしたが、最後まで前置胎盤が治りませんでした。
そこで、正期産の前の週、36週のどこかで帝王切開をすることになりました。*正期産は37〜41週
日にちは「36週ならどの日でもいいよー」と言われまして。
その週、何曜日にどの先生が出産を担当するかを教えてもらって、先生で日にちを決めました。
出産当日、車は混むし、と地下鉄で病院に向かった夫と私。
駅のホームで同じアパートの人に会って、
「Hi, 今から病院に行って出産なんだよね〜」
とかお気楽に話してました。
今考えると、少しおかしな会話だったかな。
そういえば、当日、私はお会いしことのなかった先生が、僕もいま空いてるからと出産に来てくれまして (それまで女性の先生がほとんどだったけど、この先生は男性でした)。
「同じお金で先生2人、君はラッキーだねー!」とか何とか言いながら、話し相手もたくさんしてくれたのですが、この先生がとてもいい先生でした。
麻酔を打つ前に、私は寒かったのか怖かったのか、ずーっとぶるぶる震えてしまっていたのですが、その間先生はずっと背中をさすってくれていたり、麻酔の先生の動作を一つ一つ、「今はこんなことをしてるよ」「今からこうするよ」などと、わかりやすいゆっくりとした英語で、ずっと優しく説明してくれたり。
生まれた直後に、先生に赤ちゃんのことでくだらない質問をしてたんですが、そういうのも優しく丁寧に対応してくれて。
もう一度お会いしたくて、出産後の私の検診をあの先生にお願いできるか聞いてみたら、「あの先生は何ヶ月も先まで予約が埋まっているから取れないよ」と言われました。
すごい納得で。人気の先生だったんだなぁ。
他の先生方も良かったけど、それ以上にあんなにすごくいい先生にも出産に立ち会ってもらえて、とてもラッキーでした。
*最初に書いた公益社団法人 日本産科婦人科学会 の前置胎盤とは?によると、”「癒着胎盤」の多くは前置胎盤に起き”、 ”前置癒着胎盤では多くの場合、子宮全摘出(子宮を全部取ってしまう)が必要” とのことなので、もしかするとリスクがあり、先生が2人来てくれたのかもしれません。が、考えてもしょうがないので気にしないことにして、ラッキーだったとだけ思ってます!
出産後に救われた日本のお医者さんの言葉
さて無事に出産が終わり、しばらくしてから日本へ一時帰国したときのこと。
乳腺炎になりかけて、急きょ地元の産婦人科へ行ったことがありました。
そこで、私の親よりは少し若そうな年齢の、女性の先生が、
「外国で、全前置胎盤で出産したの。それは本当に大変だったわねぇ」
と、しみじみおっしゃってくださったんです。
その一言で、私は、なんだかとても救われた気持ちになりました。
心の片隅では、万が一何かあったらどうしようと思いながら過ごしていた日々。あれはやっぱり大変だったのかな、と思って。
知らずに、気持ちのどこかに、張り詰めていたものがあったのかもしれません。
先生の言葉を聞いてあんなに救われたということは、自分は思っていたよりも不安だったのかなぁと気がついたのでした。
アメリカの先生たちはあまりにも「普通にしていたらいいよ」と言うので、そこまで心配しなくて済んだ、というのも確かでしたけど。
ちなみに、帝王切開の3日後の午前中に退院しました。アメリカではそれが普通みたい。
で、退院の翌日には、痛み止めを服用しつつ、小児科の検診へお出かけ。
日本で受けた3歳児検診では、そんなスケジュールを「大変だったわねー」と保健師さんが言ってくれまして。
あれ?もしかして私ってがんばれてたのかな?
と、少したくましくなったかもしれない自分を褒めてあげたくなったのでした。
まとめ
アメリカで前置胎盤と診断され、出産したという体験談を書いてきました。
病院や先生によって言われることも違うと思うので、アメリカだから、日本だから、というお話ではないとご承知ください。
何はともあれ、子どもがギリギリまでお腹の中で育ち、無事に生まれてきてくれた奇跡に感謝して。
今あるものに満足し、できることを精一杯やっていこうと改めて思います。