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『真っ赤なウソ』と「ウソから出たマコト」|本の紹介と簡単な感想

『真っ赤なウソ』とウソから出たマコト|本の紹介と簡単な感想

養老孟司さんの『真っ赤なウソ』という本を読みました。
「ウソから出たマコト」という言葉が、印象に残りました。
一体なんのことかというと…。


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はじめに

養老孟司さん。『唯脳論』を読んで、世の中にはこんな人がいるんだと衝撃を受けました。私が今よりも、もっと若かった頃のことです。それ以来、養老孟司さんの本がとても好きです。

アメリカへ来て以来、もうずいぶん読書から離れていましたが、少し前に、キンドル・アンリミテッドに申し込みました。そして、まず、無料で読める養老孟司さんの本を探したら出てきたのが、『真っ赤なウソ』という本。

この記事では、その本の紹介と、簡単な感想を書こうと思います。


ざっくりこんな本でした

honto というサイトのこちらのページに、この本の紹介文として、

2004年2月、大正大学浜松町サテライト教室において開講された連続セミナーでの講義をもとに構成・編集。【「TRC MARC」の商品解説】

と書かれていました。

セミナーを開催した大正大学は、ウィキペディアによると、”仏教連合大学構想を提唱したことに始まる” 大学で、仏教学部もあるとのこと。そんなこともあってか、この『真っ赤なウソ』というのは、宗教や仏教について多く言及されている本でした。


  • 第一章は、「私と宗教の関係」。いわゆる、昔からある宗教と新興宗教について、どんな関わりがあったか、などについて書かれています。
  • 第二章は、「科学の結論がお経だった」。私が、養老孟司さんの本を大好きになるきっかけとなった『唯脳論』。その本について、こう書かれていました。

現代の科学をやって、脳のことを一生懸命考えて、それで本を書いたら、お経と同じになった。

そして、

  • 第三章「「全知全能」と「やぶの中」」
  • 第四章「マスメディアが言葉を軽くした」
  • 第五章「真っ赤なウソ」

と続きます。その後、

  • 第六章は「死ぬことと、本気で生きること」
  • 第七章が「人間の欲望には限りがない」

ざっくり、宗教についてと、宗教にまつわりそうな話題 (生きるとは、欲望のこと、など) について書かれている本、と言えるでしょうか。そんなセミナーだったのかな?

また、連続セミナーでの講義がこの本の元になっているからか、ときどき、途中にQ&Aが入ります。

そんな構成です。


ウソから出たマコトについて

この本を読んで、一番びっくりした部分を引用します。小心者の私は、ここに書いていいのかな、ってびびってしまうくらいなのですが。

「真っ赤なウソ」をついて、それを一ヶ所に凝縮していってしまうと、残りは全部本当。ウソで固めた世の中だとかいいますが、まだそれをいっているうちはバカなんですよ。

ウソは一ヶ所に固めていくもので、それが一神教の世界だと、あの神様になります。そんなもの、だれか見たことあるのか、ありゃしない。だけど、そんなふうに一ヶ所にウソを集中してくと、極めて見事に残りは「リアリティー」というものに変わっていきます。それは多分、われわれの脳味噌がそうなっているんですよ。

私は「宗教とは何だ」って若い人に聞かれると、「それはウソから出たマコトだ」って答える。

こんなこと言っちゃうのか、と思った言葉だけ書くのは怖かったので、周辺を含めて引用させていただきました。そして、「ウソから出たマコト」というのは、なんというか、これ以上はない表現というか、様々なことをなんとも端的に凝縮している言葉だなぁと思いました。

それに引き替え、私のこの表現力…

そして、他には、例えば下のようなことも書かれています。

養老孟司さんが理事長をしているカトリック系の保育園、人件費が安いのだけど、

宗教的な背景があるからだろうと思っています。

子供の教育は、”根本的には奉仕の精神がないと、うまくいかないと思います。

また、

変わらないものがあることが大事なんです。日本はそういう意味で、お寺の中にその思想が保たれていると思います。

政治に切り捨てられた人のために宗教がある。

当たり前の議論が通らなくなるのは、どこかで皆さんが遠慮するからです。社会が一つの方向に漂流してしまうときこそ、それをくい止めるのが宗教の役割なんですね。

私自身は、宗教について思うこと、考えることはいろいろあれど、残念ながら、なかなかまとまっていません。

ただ、アメリカに住むようになり、日曜日は教会へ、という人たちや、見るからに宗教が分かる格好をしている人たちを、結構目にするようになりました。そういう意味で、日本にいた頃より、宗教がより身近にある気がします。

いや、日本で、お寺や神社へ行く機会がたくさんあったということを考えると、仏教や神道以外の、様々な宗教に触れる機会が多くなっただけ、なのかな。

そんなことを踏まえて、考えがまとまっていないながらも一言だけ言うとするならば、やっぱり使い方なのかな。

今の私は、そんな気がしています。


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『真っ赤なウソ』の養老語録

電子書籍って、何色かのハイライトをつけたり消したり、メモを取ったり、簡単にできるのがいいところでもありますよね。

この本でハイライトをつけた部分を、一部抜粋します。

チャーハン

キリスト教と儒教と仏教と何かのチャーハンみたいなものだなと思いました。

唯一理解できたと思うことは、ああいうところに入る学生さんには、それなりの理由があるんだなということです。

とある団体のことについて、こんなふうに言及されていました。

チャーハンって。これは養老語録だ、と思いました (勝手に名付けました)。

そして、入る人には、それなりの理由がある、という言葉については、きっとそうなんだろうなと。なんとも複雑な気持ちになります。


頭に個性があったら困る

本当に独創的な意見というのは、他人には分からない意見のことなんです。

突き詰めて考えていきますと、頭に個性があったら困る、という話をよくするんです。私は精神科の病院に一年行っていましたから、頭に個性のある人はいくらでも知っているんです。

精神科の患者さんと接したという経験から、「独創的な意見」や「個性」について、他の著書でもよく書かれているように思います。そのお話、読むたびに、いつも興味深いな〜と思います。

自分の実際の経験に基づいて、頭の中で考えた話って、やっぱり説得力があると思って。私も、ほんの少しくらいは、そんなふうに考えられるようになりたいものです。


人間のたちの悪いところ

権力欲とか名誉欲とか金銭欲とか、そういうものはちょっと放っておくと、どこまでも行ってしまう。人間には、まだそういうたちの悪いところがあるんです。

あーなるほどな、と思いました。”人間の欲は限りない”。

幸か不幸か、ただの主婦である私には、どの欲も今のところあまりないつもりですが、「足るを知る」を忘れずにいたいものです。


権力と個人

権力というのは強い反応をしてきますから、個人が強くないと駄目ですね。それを人のせいにしちゃいけないと私は思うんです。政府のせいにしちゃいけない。適おうが、適わなかろうが、自分たちの政府なんですから。

強くあって、人のせいにしない。

その書かれていた具体例が、凡人には真似できないと思いました。

確かに、養老孟司さんは強く、人のせいにしていない。多分私だったら、去年と同じでもちゃんと提出してしまうと思います…。

何事も、人のせいにしないのは、当たり前だけどちゃんとしたことだなと思います。’自分を持ち’、それに伴う自分の行動にもちゃんと責任を持とう。という感じでしょうか。


真ん中を探すとは

一番極端なところで成り立つことこそ、全体にとっても成り立つことなんです。それが真ん中を探すことなんですよ、じつは。

言われてみればそうかも。

だけど、実際の生活に適応させて考えようとしたことなんてなかったです。本を読むと、いろんな視点をもらえるなと思います。


まとめ

宗教とはなんぞや

そんな問いに関して、養老孟司さんの思うところを読むことにより、考えの幅を広げることができる本かな、と思います。

もちろん、宗教とはなんぞやなんて、正解のない問いでもあるし、「ウソから出たマコト」という言葉だって、私はどれほどまで理解できているだろうか、とも思うのです。

だけど、自分なりに考える、それも大事かなと。

なかなかゼロから考え出せない凡人には、こうして、人の考えを垣間見せてもらうことは一つの助けになります。

というわけで。

キンドル・アンリミテッドで無料で読める養老孟司さんの本を選んだら、たまたま、宗教について書かれた本でした。私にとってあまり馴染みのない話題でしたが、内容は興味深かったです。


*今回読んだ本*

真っ赤なウソ』(養老孟司 著・PHP文庫)

気になられた方は、ぜひご一読ください。

*2023.02 に読みました。


*他には、こんな本を読んでいます*