子どもが生まれた街、ニューヨーク。
子どもにとっては、ただ「自分が生まれた街」に過ぎないかもしれません。
だけど、自分の意思でここにくる人、移住してくる人にとっては、また違う意味があったりするのかも…。
{tocify} $title={Table of Contents}
スポンサーリンク
なかなか残れない街NY
ニューヨークに住み始めて、10年近くになります。その間に、こちらに住む日本人から、何度かこんな言葉を聞きました。
ニューヨークは、「ほんとに何かを持っているか、よほど運がいいか」じゃないと、なかなか残れない街
最初から短期の滞在予定という人の方が多いだろうし、もちろん、みんながみんな残りたい、と思っているわけではないので、それはまた別の話として。
(何を持っているわけでもない、すごい強運というわけでもない私にとっては、どことなくむずがゆい思いがする言葉ではあります。)
「何かを持っている」人
この言葉を話してくれた方々は、私の覚えている限りでは「何かを持っている」人でした。例えば、長年NYにいらっしゃって、自分で商売をされていたり、とか。
そして、アホみたいにお気楽に、「私は運ですねー、ははは」と返事できない雰囲気だった記憶があります。向こうからしたら、この人は運だけだなって思われてたんでしょうけれど…。
とにかく、その言葉を聞くたびに「じゃあ私は運の方だなー」くらいに軽く思っていたんです。だって私は何もないから。残念だけどそれは間違いない。
本当な部分もあるのかもしれない
以前は、ただ、「ふーん、そんな見方もあるんだ」って思うだけだったけれど。
何年か住んでいるうちに、これだけ何人かが同じことを言っているのだから、本当な部分もあるのかもしれない、と感じるようにもなりました。
例えば学生として来て、OPTをして、その後の就職先が見つけられなかった、とか。こちらで仕事を続けたかったけれど、ビザの関係で帰国せざるを得なくなった、とか。
「ほんとに何かを持っているか、よほど運がいいか」と話してくれた人たちは、例えばそういう人たちをたくさん見てきたのかもしれません。
NYに残ったとしても、私は何もできないって何年もどん底に沈んでいた私のような人間もいます。
気持ちだけは上がってきましたが、現状まだ「何もできない」ままな私。いや、「何かできる」ように、ここからがんばるつもりではありますが。
大阪と東京そしてニューヨーク
話は変わりますが、日本にいた頃、新聞のコラムや投書欄を読むのが好きでした。確か学生時代とかそれくらい若い頃に、確か投書欄で、こんな内容の文章を読んだ覚えがあります。
大阪にいた頃、この人本当にすごいな、と思う人が一人いた。東京に来たら、同じくらいすごいな、と思う人が何人かいて、びっくりした。
やっぱり都会ってすごいんだな。
私は大阪にも東京に住んだことがないので、当時はよく分からなかったけれど、なぜか印象的で忘れられずにいました。
それで、ふとしたときに思い出したのです。
そういえば、ニューヨークに来てから、
って思う人に、何人もお会いしたな、って。
それも、少なくとも私は、日本の地方に住んでいた頃には会ったことがない、と思うレベルのすごさ。
マイ・ストーリーのミッシェル・オバマのような、まず接点がないような人ではなく、ごく普通の庶民の生活をしている上で出会った中で、何人も。日本人、外国人に関わらず。
そう考えると、やっぱり、何か持っている人が残っている街、というのもそうなのかもしれないな、とも感じるのでした。もしかすると「何か持っている」人の割合が、多少、多いのかもしれない。世界中から、人が集まってくるわけですしね。
私とニューヨーク
さて。私は、「運がいいか、何かを持っているか」の2択だったら運の方になるけれど。
実際のところ、確かに運が良かったのかもしれない、と思う反面、未だにピンときていない部分もあります。
運というよりは、こうなることが自然だったのかな、と、ただ受け止めている感覚、という方が近いかもしれません。
若い頃、NYへ初めて来たときに「ここ住めるな」って思ったこと。
何カ国か海外旅行する中で、そんな街は後にも先にも、NYだけだったこと。
一人旅しやすい街で、その後、何度か来たこと。
紆余曲折ありながら、住み始めたこと。
最初は、何となく、一時的と思っていた気がすること。
いつの間にか、本格的に住むことになったこと。
いつまでニューヨークにいるのか、分からないけれど。
いまニューヨークに住んでいる、というのは、自分にとってわりと居心地がいいと思っています。こわい事件もたくさんあるし、たぶん日本に住んでいたらしなくて済んだ大変な思いも少しは経験している、とは思うけれど、今のところは。
あ、そんな街で暮らしている、なんて、場合によっては”えらっそう”にも捉えられそうなことを言ってますが、私自身や自分の生活は、本当に至って普通です。
「NYっていうとすごそうやけど、話を聞くと何か普通やね」
「NY住んでるはずなのに、昔となーんにも変わらんね」
昔からの友人には、こう言われてます。
こっちでも、「こんなに”のほほん”としているのは珍しい」と何度か言われたことがあります。
自分で思っている以上に、夫や知人に守られているのか、ただ周りが見えてなさすぎるのか。そんな可能性もあります。
でも、
大切なのは変わっていくこと、変わらずにいること
という歌詞にもあるように、私は、私らしいところはなるべく変わらずにいたい。
たとえ、どんなところに住んでいても。
そう思っているので、まぁこれはこれでいいものとしておこうかな。
まとめ
『ニューヨークは、「ほんとに何かを持っているか、よほど運がいいか」じゃないと、なかなか残れない街』とも言われているらしい、という話を、とりとめなく書いてきました。
そんな街に、こんなごく普通な私が住み始めて約10年。
今後、どんな街に住むのかは分かりませんが、どこにいても、自分らしくのびのびとやっていけたら、それが幸せなのだろうと思ったりします。
おまけ
ちなみに、私の独断による見立てでは、夫は、「運」と「何か」の両方なんじゃないかと思ってます。
この先、子どもが大きくなる頃には、NYは「どんな街」と言われているかな。