私は年を重ねるにつれて、「もう年だからあれもこれもできない」という閉塞感を感じるようになりました。
ですが今では、
と思っていて、それが心地いいです。
この記事では、
- もうこんな歳だから、と思っていた頃のこと
- そんな思考を変えてくれた人たち
- 人生の転機も訪れた
- 「今が一番若い!」
について書いています。
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「もう年だからあれもこれも出来ない」という思考に陥っていたときの私の状態とは?
若かりし頃は、少しくらいはみ出した道を選んでも、
と思えたものでした。
人生、一年くらい立ち止まっても大丈夫だろうと思って、決まっていた大学院進学の道をやめて、フリーターを一年間したこともあります。
友人たちには、よく出来るねと言われたけど、浪人だって一年したし、はみ出すのはそうこわくなかった。
そんな私でしたが、年を重ねると「あれもこれももう出来ない」という思考に陥いるようになりました。
どんなことで、もう今さらこんなことなんて、と思ったかというと。
- 今さらアメリカへ行くなんて
- この服はやめた方がいいかな、見た目なんてもう気にしなくてもいいかな
- 今さら何かをはじめるのは、もうムリと思う
こんなことでした。
今さらアメリカへ行くなんて
社会人として何年か過ごした頃。今は亡き友人から唐突に、
って聞かれました。
とっさに出てきた言葉は、
その言葉に、自分がびっくりしました。
正直、その頃の生活は、悪くはなかったのです。勤め先が外資系ということもあって、それなりのお給料がもらえていました。
仕事的には、それはまぁ多少いろいろありますが、いろんなことを気にしないようにしていましたし、気にせず過ごせていたと思います。同僚たちにたくさん飲みに誘ってもらうのも嬉しかったし、何より、ある程度の安定した生活というのはいいものでした。
せっかく親にも安心してもらえるようになったのに、また自由な自分に戻って心配をかけるのも…。
そう思うと、アメリカへ行きたいと答えた自分にびっくりしたものの、目の前を流れる日々を言い訳に、これ以上本当の気持ちを問うのをやめました。
この服はやめた方がいいかな、見た目なんてもう気にしなくてもいいかな
服を選ぶのって楽しいんだ、からの…
と思うようになったのは、私はとても遅くて、学生時代が終わる頃でした。
自分ではどういう服が似合うのか、好きなのか、ずっとよく分からなかったのです。言い訳になるかどうか、学生時代は女子があまりいない環境。まわりから服装の刺激を受ける、ということもなくて。雑誌もあまり読まなかったし。
ところがあるとき、とあるお店に買いに行くようになってから、服を選ぶのがどんどん楽しくなりました。自分では選ばなさそうな服をオススメされて、試着してみたら意外といいなと思ったりして。自分のアルバイト代から、自由に買えるようになったのもよかったのかも。
そのうち、そのお店ではなくても、オススメを教えてもらわなくても、自分で選ぶのも楽しい、と思うようになりました。
とはいえ、社会人になって自由に使えるお金が増えてからも、がっつり服装にお金をかけるというよりは、飲み代に使いたいタイプ。
なので、流行りの服を、ワンシーズン着るために安めのお店で買ったり。そんな程度ですが、少しは気にするようにしていました。
こんな歳にもなって、と言われたお話
ところが。
たしか30歳になる頃、親から、
このスカート恥ずかしいからやめなさい!と言われる事件が起こります。
そのとき着ていたのは、裾にちょっとヒラヒラが付いている、グレーのニットワンピ。大人しめのヒラヒラとか、大人しいピンクとか、それくらいならまだ許されるかなって思っていた頃でした。
その時、違うことでちょっと虫の居所が悪くてこんな発言になった感もありましたが、常識があまり分からない自覚もあった私。取り外しのできるタイプのヒラヒラをその場で一応取り外しました。
で、思い出したのが、予備校にいた、ピンクハウスの服を着ている先生。
当時の先生がおいくつだったか分かりませんが、私は気になりませんでした。すごく好きそうだし、似合っているし、いいんじゃないかなって。
でも、世間からすると”気になる”ことだというのは理解していました。
と悟ったわたし。
そしていつしか、
などと、以前にも増して気にするようになりました。
むしろ見た目なんてもういいかも
そして、ニューヨークで暮らすようになり。
自分の好きな格好を自由に楽しんでいるように見える人たちが、とても多いと感じます。きっと流行とかもあるんだろうけれど、それとは関係ない世界で生きている人の方が、むしろ私には目に付く生活をしているので。
ということもあって。びっくりするくらい、まわりの目どころか、服装そのものをあまり気にしなくなってしまいました。
気にしなさすぎて、日本へ一時帰国するときには、あれ?これではひどすぎるかな?と慌てて服を買いに行ったことあったくらいです。今はさすがに、もう少し楽しもうと思っていますが、そんな時もありました。
今さら何かをはじめるのは、もうムリと思う
と思ったことがあと一つ。キャリアの問題です。
アメリカへきて、生活環境がずいぶん変わりました。過去の自分を振り返る時間を持つことができ、それを踏まえて、今後の生活について考えるようになりました。
その過程で、私は、キャリア・仕事に関する考え方が変わってきました。単純に、日本でしていたような仕事をこちらで探すのは、今となっては違うかもしれない。
踏ん切りがつきませんでした。
「もう年だからあれもこれもできない」という閉塞感があった私を変えてくれたきっかけとは?
そんなわけでこれまでのところ、自分の人生について、服装について、キャリアについて、「もう年だからあれもこれもできない」と思っていた頃のお話を書いてきました。
今は、こういう閉塞感を感じていません。
どうして思考が変わったのか、というと…お年寄りの言葉や存在がとても大きかったです。
私が影響を与えてもらったと思っている人は、次の3人です。
・自分の祖母
・外国人のおばあちゃん
・お会いしたことはない日本人の方
ここからは、そんな方たちのエピソードについてご紹介していこうと思います。
私の人生を変えた91歳の祖母の言葉とは?
この話をするのに、祖母のことは欠かせません。社会人になってからの方が、いろいろと話すようになった祖母。
祖母が亡くなった後あるときふと、祖母が、70代の人のことを、
って笑って話していたのを思い出しました。
私にも、
と節目に言ってくれたことも。
そんな気持ちがじわじわ湧いてきました。もう30代だしって思っていましたが、
と思って。祖母が亡くなってから、半年後くらいには渡米しました。背中を押してくれたのかなと思っています。大袈裟かもしれませんが、渡米して、いろんな意味で自分の人生が変わったように思っています。
97歳外国人おばあちゃんのファッションから得た気づきとは?
本当に97歳?
もうこんな年だから、と、服装のことについても書きましたが。これについて考えを変えてくれたのは、アパートの同じフロアに住む、白人のおばあちゃんです。なんと今年97歳と聞いたのですが、
と半信半疑でした。いつも綺麗にされてて、とてもしっかりしてらっしゃるし。
ところが、彼女が今年、ケガをして入院したときに、必要なものを病院に届けた別の住人が、「彼女97歳だって、信じられない!」と夫にテキストしてきたので、やっぱり本当だったんだってなりました。
話は逸れますが、アメリカでは歳の話はしない、と聞いてアメリカへ来たのに、
と思います。私個人の経験では、それなりに親しくなってくると、聞かれることもある印象です。
信じられない理由
話は戻って、97歳なのが信じられない理由はいろいろありますが、、何より、彼女は本当におしゃれなのです。高いものかどうか、私にはそういう見る目はないので分かりませんが、いつ会っても、とてもキレイな格好をしています。
あ、キレイという表現があっているかどうか。別にパーティーに行くような格好をしているわけではありません。ジージャンを羽織っているのを見かけた日もありましたが、それもとても似合っていました。ジージャンに限らず、いつも、何を着ていても似合っているように見えます。お化粧もいつもきちんとされていて、でも、決して派手ではなくて。
彼女はとても美人でほっそりしているので、何を着ても似合うというのもあると思いますが。それを横に置いても、彼女の自分らしさ、があるのかなとも思います。
若さの秘訣と素敵なところ
ここに引っ越してきて、彼女と話すようになってから、
と思うようになりました。
それに、今日は何を着ようかなって毎日楽しく考えるのも、彼女の若さの秘訣なのかもしれないなと思って。
そういえば、昨日、家の前で話しかけられた知らないおばあさんも、ふと爪を見ると、かわいい落ち着いたピンク色のマニキュアをしていました。
どうしても、人の目って気になってしまいますが、そんな人もいるんだな、と心に留めておこうと思います。
子育て中は、子どものことが第一になりがち。服だって、
と気がつきました。だけどそんなことを言わず、いくつになっても、少しくらい自分のことも構っていきたいものです。
余談になりますが、同じフロアのおばあちゃん。絶対に覚えにくいであろう日本人の私の名前を、どうにか覚えようと頑張ってくれて。そのがんばりが、
といつも思っていました。
何かの際にカードをお渡しした後は、カードを見て名前を覚えてくれたのでしょう。それからはいつも、ちゃんと私の名前を呼んでくれるようになりました。
もう歳だからムリだわ、とか思わないんですね、きっと。気持ちが若くて素敵だなと思って、そんな姿も尊敬しています。
思い返せば、私の祖母も気持ちが若い人だったかも。見習いたいなと思います。
『100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る』の著者が教えてくれたこと
100歳の方の言葉たち
そして、仕事について。
と、どん底の思考に陥っていた頃。
『100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る』という本を読みました。以前、元プロテニスプレイヤーの杉山愛さんがこんな呼吸法をしている、という記事でオススメされていた本です。(例えばこの記事でも書かれています)
長い間世界で戦われて、その頃も今も笑顔が素敵な人という印象の杉山愛さん。
という興味があって。
それで、呼吸法について知りたくて読み始めたのですが、そのときの私にはむしろ、こんな言葉たちが強く印象に残りました。
若い人(五十代、六十代も、わたしにとっては子どもどころか孫に近い年齢なのです)
100歳の人からみたら、60代の人だって孫のように若いんだったら、
この本を読んで、またそう思うことが出来ました。
一瞬の百年でもあれば、永遠のような百年でもありました。
百年も一瞬のようだといいました。しかし、その一瞬一瞬こそが大切なのです。
「いま」を確実に積み重ねて一日とし、一年とし、百年としていく。そういうふうに生きていく他に人間にはすべがない。
一瞬のような長いような人生。確かに、アラフォーの今、なかなか手が出せないことってたくさんあるように思います。だけど、
そう思えるようになりました。
年配の人の言葉って、何より、やっぱり重みが違うなと感じていて。年配の方が人生について語ってくれる機会が、もうあまりないので、こうして本という形で読めるのはありがたいと思いました。
本のこと
ちなみにですが、
- 肝心の呼吸法
- この著者による丹田の位置の解釈
- 著者の前向きな言葉たち
も、とても参考になりました。
老眼の進行もきわめて遅く、普通の本なら、今でもメガネなしで読めます。
こんな驚きの情報まで。
若干クセのある方だったのかもしれない、という気持ちもなくはないですが、それを越えるありがたい言葉がたくさん書かれている本でした。
それに、ここに書いたみんなに共通すると思ったのが、気持ちの大事さ。きっと、二人とも気持ちがとても若い。そんなところも見習いたいものです。
「現在が一番若い!」行動してみてよかった、と思うこと
いろいろと書いてきましたが、
と思って行動してよかったことは、と聞かれたら。
今のところは、思い切って渡米したこと、が答えです。いろんな意味で人生の転機だったと思っています。
もう年だからとあきらめていたら、今の私はありませんでした。あのときの私のことを、今となっては若かったなーと思えます。
渡米しなかったら悩まなくてよかったことも、あるとは思います。言葉の壁も感じるし、国や文化の違いを考える機会も増えたし、こんな状況でなかなか日本に帰国できないし。
だけど、それ以上に、やっぱり行動してよかった。渡米してやりたかったことは結局出来ませんでしたが、生涯、思い切って渡米していたらどうなっていたかな、と思うよりは、私にはよかったんじゃないかな。よくよく考えたら勤めていた会社は外資系だったこともあって、あの安定がいつまで続いていたか分からないですしね。
それに、結果論になりますが、一緒に生きていきたいと思う人にもアメリカへ来て出会いました。そして、思いもよらなかった人生を過ごしています。これも悪くないなって思うのです。
閉塞感を取り除くために試したい方法
そんなわけで。
と思ったときには、
ようにしたいと思っています。
年配の方が身近にいないと、どうしてもこういう視線を忘れてしまいませんか?私はそうだったんですけれども。
だけど、考えてみると、例えば自分がアラフォーだったら。大学生の人を見れば、
って感じると思うし、生まれたての子どもを見たら、
って思うのかな、と。
そうやって、人に対して思えることを、自分にも当てはめると、想像しやすいと思いました。
何か考え事をするときや決断をするときには、
- 祖父母から見たら
- すてきだなと思っている、身近なお年寄りの方から見たら
- 例えば90歳になった自分から見たら
自分のことをそんな視点から見る、というのを忘れないでいたいと思います。
まとめ
そんな閉塞感を感じていても、人生、どうなるかなんて分かりません。
と、自分の経験から思うようになりました。
もちろん、節度や、自分で決めたんだという責任も、必要だとは思いますけれど。違う視線から自分を見ることによって、人生の何かが変わった人が、少なくともここに一人。
それに、こんなつぶやきも見つけました。
もう若くない、と思っていた時期があったんだけど、看護師の友人に「30代は病院の基準でいったら超若者!今は70でも元気いっぱい!75くらいから弱ってくる!85過ぎたらそろそろ年寄り!」というようなことを言われ、それ以降「もう年だ…」と思っても「でも病院基準では超若者だし…」って思い直してる
— もりなが (@mmk00) November 6, 2020
年齢を気にしすぎず、
と思うことで、私は、より心地よく日々が送れるようになったと思います。
一度きりの人生。いくつになっても、最初からあきらめないで、何か方法はないだろうかと考えてみる。考えなくても人生だけど。考えるのも、それもそれで人生ではないかな、と。
閉塞感に陥っても、思考を変えて。小さなことでも何かを変えていくことによって、日々が、人生が、変わっていくといいなと思っています。